異国からつぶやくブログ

苦しむために生きないで あなた自身を愛してくれ

私が正門担になった夏の話

ふと考えてみると、なぜ、そしていつから私は正門良規さんを推してるのか。
その記憶が定かではないのだ。

「●●出の□□担」です!って私も名乗りたい。

今回は私がいかに正門担になったのか、記憶を辿ってみようと思う。

 

そもそも私はEighterであり丸山担である。

関ジャニ∞を初めて認識したのは忍たまのED、桜援歌だと思う。「あれでエイトって読むんだ」って思ったのを覚えてる。

ちゃんとマルちゃんを認識したのは、ドラマ、歌のおにいさん。小さい時からなぜか深夜ドラマが好きで夜更かしして見ていた。覗き見るちょっと大人な世界に、同級生とは違うんだ。という優越感を持っていた。でも、「昨日何時に寝た?」とか言う質問には嘘ついて「えー、10時?」とか答えていた。ドラマ当時小5とかだったと思うんだけど、幼いながらにあの綺麗な目元と笑顔をみてカッコいいと思った。

そんでしばらくしてMステでLIFEを初披露した時、マルちゃんの髪がめちゃめちゃ長くて正直びっくりしたんだ。「え、あんときのお兄さんのほうが良かった・・・」て思ったんだ。

匿名係長とかを見ていた流れで見たボーイズオンザラン。

短髪すぎるくらいにさっぱりしたマルちゃんはやっぱりかっこよかった。ヘタレ田西役だったって、関係ない。そんでもってEDのあおっぱなもロックサウンド+マルちゃんの声が節々に効いてて好きだった。

 

ここで大きな問題が立ちはだかる。そう、ジャニーズが大嫌いだったのである。

小5〜中2あたりまではゆずが好きないわゆる「ゆずっこ」、そっからは星野源や邦ロックなどを聞いていた私には、「口パクばっかの苦労せずMステに出られる」ジャニーズなんて嫌い。って思っていた。この変な偏見が邪魔をして、Eighterになるのを2017年あたりまで遅めることになる。

 

ここまで長々と書いてしまったが、要はそもそものマルちゃんのお顔が大好きで土台があり、ふとしたきっかけでEighter、丸山担になったということだ。(ふとしたきっかけって何、ということは今回は書かない)

 

さて本題。

 

いつ、どうして私は正門担になったのか。

時系列を辿ってみると、そもそもの始まりは横倉が関ジュに関わり始めたこと。まず、私はジュニアに興味を持っていなかった、いや、持とうとすらしていなかった。留学生活での情報源、Twitterに流れてくる横倉のバーターで出演したなにわ男子の行列、Hey! Hey! Hey!などなど・・・。

「へー、なにわLucky Boy!!って曲いいね」

「ダイヤモンドスマイルとか、関西感全くないな。すげえ!」

うん、なにわの中なら長尾くんと丈くんだな。なんて思っていたその時、飛び込んだヨコのプロデュースグループ、Aぇ! group結成、そしてグローブ座公演。メンツをみると、あれ、ジャムの時にいたリチャードくんじゃん。

実際それくらいだった。最初の印象。薄味も薄味なうっすい反応だった。

正直ここらへんは詳しく時系列覚えてないんだけど、島動画は毎回チェックしてた。なんなら「追加公演決まりましたー!!」のやつとか鬼リピした。

 

時は流れて夏。

私は某遊園地のプールのからあげ売店でバイトをしていた。そこにいたのが当時高三の室&末澤担の子だった。わりと暇だったバイト中、毎日毎日Firebird歌って、そんで挙げ句の果てには末澤くんの写真をレジに置いてバイトしてた。これは誰が見たっておかしいw

 

そんなある日、その子は私に言った。

「Aぇの凱旋余ってるんですよ、滋賀行ってくださいよ〜」

 

こんな突飛なお願いに、「え?そうなの?」と、半分興味でバイト帰りにセブンに寄ってチケットぴあを見てみた。そんな、一般取れるわけないじゃ・・・

 

取れちゃった。

 

そう、取れちゃったのである。

 

気付いたら発券ボタン押してた。

 

そう、これがAぇを本格的に推し始めるキッカケだった。

 

[後半へ続く]